2017年2月14日火曜日

9. 2月11日 その2

 20年ほど前の2月10日の夜、私は娘(5年生)と息子(3年生)に、「明日はどういう日だか知ってる?」と聞いた。
 二人とも「建国記念の日」であるということは知っていた。担任の先生が教えてくれたという。息子のクラスではそれ以上の話はなかったようだが、娘のクラスではもう少し話があったという。先生は子どもたちに次のように言ったという。
  「朝鮮から人が来て、ここが日本と決めた日」
 先生はそう断定したわけではなく、「~と言われているようです」という表現だったようだが、「それで?」と娘にさらに聞くと、それだけだったという。いつごろの話だとか、その話の根拠とか、「建国記念の日」がいつ制定されたのか、という話は一切なかったという。

 古代の日本には、大陸(朝鮮や中国など)から多くの人々がやってきた。日本の成り立ちと大陸からやってきた人々とは大いなる関係がある。しかしそれは、「朝鮮から人が来て、ここが日本と決めた」というようなものではない。
 「朝鮮から人が来て、ここが日本と決めた日」という表現は、そのいい加減さもさることながら、いろいろなイメージを子どもに与える危険性がある。「朝鮮が侵略してきてこの地域に日本と名づけた」「日本人の祖先=朝鮮の人」「ここは自分たちの国と決めることで国ができる」等々。
 日本の学校の授業では、教科書に書かれていることや、教師が話した(書いた)ことを覚えるというのが活動の中心になっている。 歴史は特にその傾向が強い。これは物事について自分で分析し考えることなく、「教科書に書いてあるんだもん」「先生が言っただもん」と、書いてあること教えられたことをそのまま正しいこととして受け止める姿勢を育ててしまう。 教師のいい加減な一言が、子どもに誤ったイメージを植え付ける可能性があり、おそろしいことであると思う。 

 しかし、だから正しい教科書を作れとか、教師は間違ったことを言うな、というつもりはない。絶対に正しい教科書とか、絶対に正しいことしか言わない教師などありえない。教科書なんか資料にすぎない。新しい史料、新しい遺物が発見されれば、それまで真実だと思っていた歴史の事実さえひっくり返ることだってあるのだから。
 教科書に書いてあること、先生が説明したことを後生大事に覚えておくなどということは歴史の学習でもなんでもない。歴史というのは、過去の人間が残した史料や遺物によって、過去の人間の行動とその結果が示されたものである。歴史の学習というのは、そうした残された史料や遺物を多面的に調べ分析し、その時代(の政治や産業など)を成り立たせた条件や時代を変えた条件をとらえること、そしてそのとらえたことを参考にして、自分が生きている今の時代を見る視点、その先の時代を切り開く視点を自分自身の中に育てていく学習なのだ、ということを子どもたちに掴んでほしいと思うのだ。

 そもそも、国(クニ)とはどういうものなのか。
 「領土」があって、「そこに住む民」がいれば「国」なのか?
 そのまとまりの大きさは? 集落や村とはどう違うのか?
 日本が、日本という国として対外的に認められるについては、長い経緯がある。
 それはどういうものであったか? 日本という名前が確認されたのはいつ頃だったのか?
 そのころの日本の周辺はどういう状況だったか?
 そのころ世界のほかの国々はどういう状況だったか?
 今、国はどのようにして、独立した国として認められるのか?
 世界の建国記念日とその経緯は?
 日本の建国記念の日はなぜ2月11日なのか?

 「建国記念の日」に、子どもたちに歴史的視点を育てようと思うのなら、教師の役目は、建国についていい加減で中途半端な説明をするのではなく、子どもたちから「国(クニ)」というものについての様々な疑問を引き出し、その成立について考えるきっかけをつくることではないか。

 20年後の今も、歴史は「暗記もの」であるとして、ほとんどの子どもたちに認識されている。
 教師たちは「建国記念の日」について、子どもたちにどんな話をしているだろうか。
 
 

 

 

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